優しい心を育むカトリック教育

2019/11/19

脚下照顧 きゃっかしょうこ

賢明学院の幼稚園も小学校も中学高等学校も,園児・児童・生徒の靴は,かかとが揃えられて靴箱に納まっている。来客の人が昇降口の靴箱を見て,「きれいですね。」と褒めて下さる。いつも整っているから,当たり前の光景となってしまっているが,創立以来先生がたが,常に意識して指導して下さっている,結果の顕れだと思える。

 

 

『はきものをそろえると 心もそろう   心がそろうと はきものもそろう

 ぬぐときに そろえておくと      はくときに 心がみだれない

 だれかが みだしたら         だまって そろえておいてあげよう

 そうすればきっと 世界中の人の心もそろうでしょう』

 

(小学校の靴箱の上の掲示)

 

「脚下照顧」,「照顧脚下」,「看脚下」,いずれも「足下を見なさい」から転じて,「履物をそろえましょう」と,標語的に使われている。しかし,真意はもっと深いところにあるのではないだろうか。自分の足下を顧みるという事は,「我が身」や「我が心」を振り返り,自分が今どういう立場にいるのか,よく見極めて,事に当たれという事なのだろう。

 

私たちは日々,次から次へと様々な事に流されてしまって,自分の事を静かに見つめる機会が,あまりない状態にある。他人の事はよく分かっても,自分の事は分かりにくいものである。しかし自分の事とは,生活力の基礎基本の事ではないかとも考えられる。生活力の基礎基本は,一人ひとりの心に宿っているのではないのだろうか。この宿っているであろう基礎基本を育てるには,日々の生活をきちんと行えるように導く事だと,理解出来る。したがって,生活の基本の行動には,生きていく上で常に大切にしなければならない事が含まれていると,言えるのではないだろうか。

 

履物をそろえるという当たり前の行動が,人を育てる基礎基本になっていると捉えても,間違ってはいないように思える。

 

朝は「おはようございます」  夜は「おやすみなさい」  

命を頂く食事時に 「いただきます」  「ごちそうさま」

でかけたときは  「いってきます」 「おかえりなさい」

だれかにあったら 「こんにちわ」  別れるときは「さようなら」

しっぱいしたら  「すみません」

お礼の言葉は   「ありがとう」

 

生活の基礎基本に対しての躾が出来ていれば,心が揃ってくるのではないだろうか。心が揃うとは,人のせいいにしない事,不満を口にしない事である。「霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる」という言葉があるが,霧が立ちこめている中(環境)を歩けば,気づかないうちに衣服は湿ってくる。これは,今いる環境に,知らぬ間に影響を受けるという意味である。

 

子育ては,意味を問う事よりも,ひたすら子どもたちに向き合い,接していく事によって,育て方が自然と身につき,また育てていく過程で,子どもたちとの間に心が通い合い,それが見える行動に繋がっていくのではないかと思う今日この頃である。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫