優しい心を育むカトリック教育

2020/02/26

年度末

行ってしまった一月。逃げていく二月。」とはよく言ったものだ。これで間もなく迎える三月は,去ってしまうのだろう。今年は,多忙な年度末だ。二月のブログも今頃一号を出すようになったのも,この多忙さに原因があると言って,自己弁護したい心境を察知して戴きたい。年度末はとにかく忙しいのが当たり前だが,何故一年間の区切りが12月31日と3月31日の二種類が存在するのだろうか。現場の立場としては,年末と年度末が同一であれば,今の多忙さは何乗されるのだろう。考えるだけで恐ろしくなる。

 

ところで,「年度」と言う仕組みは教育現場でなぜ採用されているのだろうか。就職する企業の決算に合わせての年度なのだろうか。三月のイメージは卒業式。四月のイメージは入学式と言って過言ではないだろう。幼稚園から大学まで,新しいスタートはすべて四月からとなっている。国の予算も四月始まりだし,会社も多くが年度初めとなっている。情緒的には,桜の咲く頃,はらはらと花弁が散る頃の年度替わりは,日本ならではの文化とも言えるのではないだろうか。

 

欧米の学校は,夏休みを区切りとして新年度が始まるため,9月を学年始めとしているが日本が新年度を四月始まりとしている理由は『米の収穫時期に合わせたもの』というのが通説だ。1886年(明治19年)に,当時の文部省(現在の文部科学省)の指示で高等師範学校が四月始まりになったのが起源だ。

 

 

明治の新政府にとって,税金の収入源となるものはお米が主だった。年貢米のようにお米をそのまま税金として収めるわけにもいかず,政府は現金徴収をするため,農家が収穫したお米を現金に換えて納税してもらう必要があった。秋に収穫した稲を米にして換金,それを税金として徴収し,そこから予算の編成をするとなると,暦年の始まりとなる1月には間に合ない。そのため,税金の徴収が一段落し全体の収入が確定した段階で,次の「1年」の予算を組むには,四月からを新年度とするほうが良かったと考えられる。また、四月を新年度にしたのは,イギリスの影響もあったと言われている。当時,軍事力,政治力,経済力,文化的影響力など総合国力において圧倒的に優れていたイギリスでの会計年度が,41日~翌年331日であったことに倣ったとも言われている。会計年度の関係で学校の運営を考えると,補助金や国や地方自治体の予算編成などと密接に絡んでいる。そのため,『学校年度』も自然と国の『会計年度』に合わせて,41日が年度初めになっているのだろう。明治10年代の末頃までは,小学校はおおむね1月スタートだったらしいが,当時は今のような学年制がなかったので,流動的なものだったと言われている。

 

日本でも世界水準にあわせて学校年度を9月はじめに変更するなどの議論も以前からあったが,年度を変えるにあたって絡んでくる法律があまりに膨大な上,国の「会計年度」が元になっているだけに,事実上学校年度を変えるのは不可能と言われている。

 

つまり,一月は行ってしまい。二月は逃げてしまい。三月は去ってしまう経験を,これからも続けなければならないのだ。やはり三学期の多忙さは,これからも変わらないのだろう。

 

◇ 他にもある年度◇

「砂糖年度」「大豆年度」「コーヒー年度」  101日から,翌年の930日までの1年間。

「醸造年度(酒造年度)」            71日から,翌年の6月までの1年間。

「綿花年度 」                   81日から,翌年の731日までの1年間。

「米穀年度」                  111日から,翌年の1031日までの1年間。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫