優しい心を育むカトリック教育

2020/03/13

無観客

スポーツの大会が無観客で執り行われることとなった。大相撲も無観客での取り組みが放映された。どんなにベテランのアナウンサーが中継を担当していても,何とも寂しく感じた。観客の声援だけでなく観客が画面に映し出される場面によって,茶の間で見ている私たち視聴者もその場に近い臨場感を味わっていたのだと感じた。バーチャルの世界が広がって,どんなに映像が立体的にかつ美しい画質になっても、なんとなく違和感があったのは,一つの場面を選手,観客で共有していないからではないだろうか。映像を見ている視聴者も映像を見ることで多数の人と同じ場面を共有して味わう事がないからだろう。

 

普段と違う声援の声がない,少々違和感のある大相撲の取り組み中継を見ていると,力士が土俵上に上がってから取組みを始めるまでの間に,ずいぶん長い時間をかけて色々なことをしていることがいまさらのように際立って感じる。相撲はただのスポーツではなく,神事であるとは知っていたが,神聖な場所とされる土俵に上がってから相撲を取るまでの間,「決められた儀式」を行っている。

 

 

四股を踏むことによって,世界の悪霊のコロナウィルスを封じ込めたいものだ,古人は神事によって悪霊を封じ込めてきたのだろう。科学が進歩した今,古の習わしが懐かしくもあり,たくましさも感じるのはなぜだろうか。コロナウィルス便乗の詐欺的商売や,SNSによる噂「しらんけど,・・・効果あるみたい」発言は,控えてほしい。トイレットペーパーも通常通り棚に並んでいたほしい。噂を封じ込め四股のほうが今は,必要かもしれないと思う。

 

【塵を切る】

つま先立ちで両膝を開いて腰を下ろした「蹲踞(そんきょ)」の姿勢で,両手の平を前に出して打ってから,その手を左右に大きく広げ,上に向いていた手のひらを下に返す動作からはじまる。「塵浄水(ちりちょうず)」とも呼ばれ,相撲の取組前にお互い「相手に危害を加えるものは何も持っていません。正々堂々と勝負します」と確認し合うことと,体の塵を落とし空気を揉んで清めるためという、二つの意味で行う動作。

 

【四股を踏む】

四股を踏む動作を,土俵上でも行う。

四股には準備運動の要素もあるが,元々は「大地を踏みしめることで邪気を払う」という意味がある。取組み前に,神聖な土俵から邪気を払い清めるために行っている。

 

【力水を受ける】

神聖な土俵に登る力士が,身を清めるために行う。

寺社参拝をする前に,口をすすぐのと似ている。直前の取組みで勝った力士が土俵際に残り,次に取組みを行う力士に柄杓で「力水」を渡す。受け取った力士は口をすすぎ,「力紙」で口元を隠して吐き出す。

 

ちなみに,直前の力士が負けた場合の力水は呼出しが渡し,最初の取組みで直前に勝った力士がいない場合は次の取り組みを行う力士が渡すこととなっている。

 

【塩をまく】

現在は塩をまくのは十両以上の力士のみと決められている。

力士が土俵にまく塩は「清めの塩」で,「盛り塩」や葬儀の帰りに塩をまくのと同じ意味を持ち、力士の安全祈願と,神聖な土俵を清めるために行われています。土俵で力士が怪我をした場合にも,邪気を払うために土俵に塩が撒かれることになっている。

ちなみに塩をまく量の規定は特にないため,大量の塩を豪快にまく力士もいれば,指先程度の量しかまかない力士もいる。

 

【仕切り】

蹲踞の姿勢から立ち上がり,足の位置を決め,腰を下ろし,手をついて「立合い」の姿勢を確認します。

幕内は4分,十両は3分,幕下以下は2分の「制限時間いっぱい」になるまで仕切りを繰り返すことが多いが,両力士の呼吸が合えば時間前に取組みを始めることもある。

 

学校法人賢明学院 学院長 中原 道夫