優しい心を育むカトリック教育

2018/04/07

中学高等学校入学式 式辞

今日,中学高等学校の入学式があり,243名の新入生を迎えました。

今回も写真はありませんが,式辞を載せておきます。

 

55名の中学新入生,188名の高校新入生の皆さん,ご入学おめでとうございます。

保護者の皆さまもお子様のご入学,おめでとうございます。賢明学院の制服に身を包まれ,新しいステージへ一歩踏み出されたお子様は輝いて見えるのではないでしょうか。

また,ご来賓として,霞ヶ丘自治会長久保様,奉献OB会会長宮本様,長谷川会長をはじめ奉献会役員の皆様,新入生を迎えるこの喜びの場にご臨席賜り,心から感謝申し上げます。今後とも,ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

さて,新入生の皆さん,皆さんは新しい中学生活,高校生活のスタートに大きな期待を抱き,意欲満々と言ったところではないでしょうか。今日はこの賢明学院で学ぶ喜び,幸せを感じるスタートの日です。

賢明学院は約2000年前,ユダヤに生きたイエス・キリストの生き方に倣いたいと考えるカトリック学校のひとつです。大阪では7校,全国でも中学は97校,高校は113校しかありません。

賢明学院は約200年前フランスに生き,まさにイエス・キリストに倣いたいと生涯を教育にささげたマリー-・リヴィエの精神を根本におく学校です。

エントランスに並んだ国旗は世界の姉妹校がある国々ですが,日本には姫路の賢明女子学院とこの堺の賢明学院2校だけです。

創立者マリー・リヴィエの言葉で私の好きなものに,「神と隣人への燃え立つ愛によって,輝く太陽になってください」があります。「神を愛する」ことはどうしていいか分からないという人もいるかもしれませんが,「隣人を愛する」こと,つまり「周りの人を大切にする」ことはきっと今までにも実行してきたでしょう。

私たちの心には誰しも「自分が大切」「自分だけがよければいい」という考えを持っています。世界を見渡してもそういう考えが強くなっているように思えます。でも,賢明学院が教える生き方は全く違います。自分が損をすることがあっても人のために働きませんか,自分を後回しにして人のことを優先しませんかという生き方です。そうすることによって,私たちは「輝く太陽」となれるのです。

今日は「輝く太陽」となった一人を紹介したいと思います。皆さんもニュースや新聞で知っているかもしれませんが,44日はアメリカのキング牧師が凶弾に倒れてから50年でした。キング牧師は黒人の人種差別に対して,非暴力主義でそれが間違っていると訴え続けた人です。「I Have a Dream」の有名な演説を知っている人も多いでしょう。一節を紹介します。

「私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。」

「私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。」

キング牧師もマリー・リヴィエがそうであったように,一人ひとりの人間がいかに大切かを心の底から分かっていたのです。だから肌の色で差別されることは間違っていると訴え続けました。それはマリー・リヴィエがフランス革命のさなか子どもたちに教育をと強く願ったこととつながると思います。つまり,どちらも「神と隣人への燃え立つ愛」があったのです。そして,それがイエス・キリストに倣う生き方だったのです。

最後にキリスト教のことは何も知らない人もいるでしょう。洗脳されるかもしれないと心配する人もいるかもしれません。決して信仰を強要することはありません。でもキリスト教の素晴らしさを知ってほしいと願っています。せっかく賢明学院と言うキリスト教カトリックの精神で教育されている学校に入ったのですから,イエス・キリストが何を教え,何を行い,どういう方か知ってほしいと願っています。

その一つとして,イエスがいつも寄り添ってくださる方であることを「あしあと」という詩で紹介します。

 

  あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

 わたしと語り合ってくださると約束されました。

 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

 ひとりのあしあとしかなかったのです。

 いちばんあなたを必要としたときに、

 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、

 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

皆さんの学校生活が愛と希望に溢れ,充実した毎日となることを祈り願って,私の式辞とします。