優しい心を育むカトリック教育

2019/04/06

中学高等学校入学式 式辞

71名の中学新入生,182名の高校新入生の皆さん,ご入学おめでとうございます。

保護者の皆さまもお子様のご入学,おめでとうございます。賢明学院の制服に身を包まれ,新しいステージへ一歩踏み出されたお子様は輝いて見えるのではないでしょうか。

また,ご来賓として,霞ヶ丘自治会長久保様,長谷川会長をはじめ奉献会役員の皆様,比嘉会長をはじめリヴィエ会役員の皆様,新入生を迎えるこの喜びの場にご臨席賜り,心から感謝申し上げます。今後とも,ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

さて,新入生の皆さん,賢明学院は約2000年前,ユダヤに生きたイエス・キリストの生き方に倣いたいと考えるカトリック学校のひとつです。大阪では7校,全国でも中学は97校,高校は113校しかありません。

また,賢明学院は約200年前フランスに生き,まさにイエス・キリストに倣いたいと生涯を教育にささげたマリー-・リヴィエの精神を根本におく学校です。

エントランスに並んだ国旗は世界の姉妹校がある国々ですが,日本には姫路の賢明女子学院とこの堺の賢明学院2校だけです。

皆さんは新しい中学生活,高校生活のスタートに大きな期待を抱き,意欲満々でしょう。そのために春休みもよいスタートを切るためにしっかりと助走をした人もいるでしょう。

この春休みの出来事で私にとって一番心に残ったのはイチロー選手の引退でした。イチロー選手の最後の試合となったマリナーズ対アスレチック戦が終わり,11時という遅い時間にもかかわらず,ほとんどの観客が東京ドームにとどまりイチローコールを繰り返した場面は忘れられません。そして,20分後にイチロー選手が再びグラウンドに姿を見せた時の感動と喜びを想像すると,東京ドームにいたかったとつくづく思いました。私はイチロー選手の大ファンではありませんが,日米通算4367安打など数々の記録を打ち立てた日本プロ野球史上最高の選手の一人だと思っています。でも,今日イチロー選手のことを取り上げたのは,先日彼の特集番組を見ていてイチロー選手の表情に求道者の姿を見たからです。「求道者」という言葉の意味が分かりますか。あることを究めるために日々努力する人です。そこにはストイックな生き方があります。

それと彼の哲学的とも言える言葉は印象的でした。例えば,天才と言われた彼はこう言っています。

「努力せずに何かできるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何かができるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうだと思う。人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。」

「僕は天才ではありません。 なぜかというと自分が、 どうしてヒットを打てるかを説明できるからです」

ヒットを打つという道を究めようとしたからこそ,私はそこに求道者の姿を見ました。そう考えるとイエス・キリストは人間がいかに尊い存在か,その人間をとことん大切にするにはどうすればよいかを究めようとしました。そして,マリー・リヴィエはキリストに倣う生き方を教育の中でどう究めるか挑戦しました。

彼らのその真摯な姿勢に私たちは尊敬を感じ,お手本とし,自らの生活に生かしていくのです。

キリスト教の学校へ来て洗脳されるかもしれないと心配する人もいるかもしれません。決して信仰を強要することはありません。でもイエスが辿った道をマリー・リヴィエが目指した道を,皆さんの目標にしてほしいのです。毎日をイチロー選手のような真剣さをもち,学院のモットーである「THE BEST」の精神で,学校生活を送ってほしいと願っています。

そして,せっかく賢明学院と言うキリスト教カトリックの精神で教育されている学校に入ったのですから,イエス・キリストが何を教え,何を行い,どういう方か知ってほしいと願っています。

その一つとして,イエスがいつも寄り添ってくださる方であることを「あしあと」という詩で紹介します。

 

  あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

 わたしと語り合ってくださると約束されました。

 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

 ひとりのあしあとしかなかったのです。

 いちばんあなたを必要としたときに、

 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、

 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

皆さんの学校生活が愛と希望に溢れ,充実した毎日となることを祈り願って,私の式辞とします。