優しい心を育むカトリック教育

2018/04/15

高等学校通信制課程入学式 式辞

今日,通信制課程の入学式がありました。

決意新たに出発したいという思いを持った26名の新入生を迎えました。

今回も式辞を載せます。

 

26名の新入生の皆さん,ご入学おめでとうございます。春を迎え花々が美しく咲き乱れる季節に,皆さんを迎えることができてうれしく思います。

保護者の皆様もお子様のご入学,おめでとうございます。賢明学院の制服に身を包まれ,新しいステージへ一歩踏み出されたお子様は輝いて見えるのではないでしょうか。

また,ご来賓として,霞ヶ丘自治会長久保様,出身中学校の先生方,長谷川会長をはじめ奉献会役員の皆様,新入生を迎えるこの喜びの場にご臨席賜り,心から感謝申し上げます。今後とも,ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

さて,新入生の皆さん,皆さんは今日の賢明学院の入学式を迎えるまでに,いろんな思いを抱えながら生活してきたかもしれません。しかし,ここが皆さんの居場所のある学校,安心できる学校になることを願っています。

賢明学院の通信制課程は2年前に産声を上げ,新入生を加えて80名ほどの小さな学校です。だからこそお互いのことがよく分かり,学年を超えて仲良くなっていけます。先輩の中にも人間関係を築くことの困難さを感じて,この学校へ来た人がいるでしょう。最初は心を開くのも難しかったかもしれません。人を警戒する気持ちもあったでしょう。しかし,だんだんと表情が変わり,明るくなり,生き生きと高校生活を送っていくようになりました。その変化を見ると私は通信制を始めて本当によかったと思うのです。

高校を卒業できればよいと思って入学した人もいるかもしれません。でも,もっと上を目指そうという気持ちがきっとわいてきます。例えば,英語検定にチャレンジする,大学への進学を考える,自分の進路をあきらめずに挑戦するという意欲を持つようになります。そんな変化が皆さん一人ひとりに起こることを心から望みます。そして,私たち教職員も精一杯サポートをしたいと考えています。

賢明学院は約2000年前,ユダヤに生きたイエス・キリストの生き方に倣いたいと考えるカトリック学校のひとつです。大阪では7校,全国でも中学は97校,高校は113校しかありません。通信制課程は3校だけです。

また,賢明学院は約200年前フランスに生き,まさにイエス・キリストに倣いたいと生涯を教育にささげた創立者マリー・リヴィエの精神を根本におく学校です。

エントランスに並んだ国旗は世界の姉妹校がある国々ですが,日本には姫路の賢明女子学院とこの堺の賢明学院2校だけです。

創立者マリー・リヴィエの言葉で私の好きなものに,「神と隣人への燃え立つ愛によって,輝く太陽になってください」があります。「神を愛する」ことはどうしていいか分からないという人もいるかもしれませんが,「隣人を愛する」こと,つまり「周りの人を大切にする」ことはきっと今までにも実行してきたでしょう。

私たちの心には誰しも「自分が大切」「自分だけがよければいい」という考えを持っています。世界を見渡してもそういう考えが強くなっているように思えます。でも,賢明学院が教える生き方は全く違います。自分が損をすることがあっても人のために働きませんか,自分を後回しにして人のことを優先しませんかという生き方です。そうすることによって,私たちは「輝く太陽」となれるのです。

皆さんは「輝く太陽」になることに興味がありませんか。今どきの中高生はそんなことは言わないでしょうが,「君は僕の輝く太陽だ」という愛の告白がありました。その人がまぶしく輝くような存在で,その人だけが輝いて周りは何も見えないという経験をした人もいるかもしれません。でも,マリー・リヴィエが言う「輝く太陽」は少し違うでしょう。周りの人を温かく照らす太陽,周りの人を笑顔にする太陽,周りの人の暗闇にも光が射す太陽,そんな存在になること,それがマリー・リヴィエの願いだと思います。

最後にキリスト教のことは何も知らない人もいるでしょう。洗脳されるかもしれないと心配する人もいるかもしれません。決して信仰を強要することはありません。でもキリスト教の素晴らしさを知ってほしいと願っています。せっかく賢明学院と言うキリスト教カトリックの精神で教育されている学校に入ったのですから,イエス・キリストが何を教え,何を行い,どういう方か知ってほしいと願っています。

その一つとして,イエスがいつも寄り添ってくださる方であることを「あしあと」という詩で紹介します。

  あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

 わたしと語り合ってくださると約束されました。

 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

 ひとりのあしあとしかなかったのです。

 いちばんあなたを必要としたときに、

 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、

 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

皆さんの学校生活が愛と希望に溢れ,充実した毎日となることを祈り願って,私の式辞とします。