優しい心を育むカトリック教育

2017/04/19

イースター

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日本ではクリスマスはイエス・キリストの誕生日としてよく知られていますが,イースターのことは余り知られていません。

実はキリスト教にとって,クリスマスよりもイースターの方が大きなお祝い日です。

イースターは日本語では復活祭ですが,この大祝日が日本でなじみがない一つの理由は,移動祝日と言って毎年その日が変わるからです。

今年はこの前の日曜日16日でした。4月の第3日曜日になるのは,最も遅いイースターだと言っていいでしょう。

どんな風にその日が決められているかと言うと,春分の日の後の最初の満月の次の日曜日がイースターです。

何故,その日がイースターかと言うと,ユダヤ教と深い関係があります。

これ以上詳しい説明は省略しますが,大事なことはイースターが日曜日でなければならない点です。

それは,聖書によると「週の初めの日」(日曜日)にキリストが復活したからです。

 

キリストの復活を説明することは大変難しいです。

聖書にはキリストがこのように復活しましたという記述はありません。

書かれているのは,復活したキリストに出会った弟子たちの体験です。

その体験も日常的なものではありませんから,言葉で表現するのは簡単ではありません。

でも,弟子たちは十字架上で無残な最期を遂げた自分たちの師が,死で終わったのではなく今も生きておられるという強烈な体験をしたのです。

それはイエスが息を吹き返して,墓からむっくり起き上がったという話ではないのです。それならイエスはいつかまた死を迎えます。

 

復活の意味を問う時,一番分かりやすいのは4月9日のブログに書いた内容でしょう。

イエスの十字架の死は弟子たちにとって,絶望でした。3年間,家族も仕事も故郷も捨てイエスに従ったのは無意味だったとしか思えなかったでしょう。

それが復活によって大逆転するわけです。

「復活されたキリストが『絶望』を『希望』にかえられたのです。」

復活はまさに希望のシンボルです。キリスト教は愛の宗教と言われていますが,希望の宗教でもあるわけです。

私たちも毎日の生活の中で様々な困難にぶつかります。もうだめだと思うこともあるでしょう。

しかし,決してあきらめることなく,絶望することなく乗り越えていきたいものです。

 

さて,このブログもちょうど半年が経ちました。

毎日,更新することを目指していますが,中々そうは行きません。

でも,最初に書いたようにホームページにブログを始めようと提案したのは私ですから,責任を感じています。

私にとってブログの原点は,クラス担任をしていた時の日誌だと思います。

前任校で私はクラス日誌に燃える担任として有名?!でした。

前任校のクラス日誌は外枠だけある白い紙をどんどん綴じていく形でした。

私は1学期の始業式の日にクラスで,日誌は家に持って帰って自由に自分の思うことを書けばいい,私も毎日必ず1ページ以上の返事を書く,目標は1000ページだと話します。

目標を超えたクラスが3,4回ありました。そして,ページ数の金字塔は信じられないかもしれませんが,3442ページです。

これらのクラス日誌は今でも宝物として大切にしています。

このブログは私が一人で書いていますので,1000回を迎えることがあるか分かりませんが,少しでも賢明学院中学高等学校の魅力をお伝えできればと思っています。