優しい心を育むカトリック教育

2020/03/20

中学課程修了式

17日に「中学課程修了式」が行われました。この式典も在校生は出席しませんでした。

私の式辞は次の通りです。

 

52期46名の皆さん,中学課程修了おめでとうございます。保護者の皆さまもお子様の中学課程修了,おめでとうございます。ここまで成長され義務教育終了という節目を迎えられたお子様の姿をご覧になって感無量の想いではないでしょうか。また,ご来賓として,奉献会木村副会長をはじめ役員の皆様,3年生2年生の理事の皆様、この喜びの場にご臨席賜り,心から感謝申し上げます。今後とも,ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

さて,3年生の皆さん,私は皆さんと2年生の時に台湾語学研修へ行きました。その時,賢明生らしい生徒だなと強く思いました。サッカー部の大阪大会決勝戦があったために全員が参加できませんでしたが,帰りの台北空港でサッカー部が優勝したことを伝えると歓声が上がったことをよく覚えています。その後に出たBULLETINにもこう書きました。「往きの飛行機のマナーに関して,担任が『あたかも自分一人で海外へ行っているかのように感じるほど,皆に注意することがなかった。』と生徒を誉めました。少ない人数だったということもあるでしょうが,集合の時に集中して先生の話を聴く態度を見て,これができるから生徒が規律ある行動が取れるのだと改めて感じました。」

そのことは,先月のスイス英語研修でも規律ある行動が取れたと報告を受けました。賢明学院の中学生はこのように育ってほしいという見本を皆さんは見せてくれたと思っています。それは先生方の指導の力もあったでしょう。しかし,人の言葉をしっかり聞き,何をしてよいか悪いかの判断ができ,協力することができる皆さんの姿勢がどんどん賢明生らしくなっていったのだと思います。これは,生涯の宝です。賢明生であることを賢明生になったこと誇りに思いなさい。

皆さんはカトリック学校だから本校を選んだ人は少ないかもしれませんが,皆さんの成長に賢明教育,大きく言えばカトリック教育が力になりました。せっかくカトリック学校へ来てキリスト教のことを学んだのですから,イエス・キリストの生き方を人生の道しるべにしてほしいです。イエス・キリストに倣う生き方,その一つが「弱い」側に付くことです。イエスは当時のユダヤ社会でのけ者にされていた罪人や病人に寄り添う生き方をしました。誰からも見捨てられていた社会的に弱い立場の人々の側に付きました。しかし,弱い側に付く生き方は難しい。日本には「長いものに巻かれろ」という言葉があるように,強い側に付いて生きる方が楽です。しかし,弱肉強食と言うように私たちの世界はいつも強い側が勝ち弱い側が負ける,強い側がいい目を見,弱い側が損をするのでしょうか。

歴史を振り返るとどうもそれは真理ではないようです。まず,地球上で圧倒的な強さを持っていた恐竜は,6600万円前に絶滅しました。恐竜に比べると体も小さい私たちの祖先である哺乳類はその危機を生き延び進化していきました。そして,ヒトの祖先は森からサバンナへ追い出された弱い群れでした。20万年前に誕生したホモ・サピエンスはネアンデルタール人と同時期に共存していました。それもネアンデルタール人は今までの説を覆して,知性を持ち言語を操り高度な文化を持っていた可能性が高いと言われています。にもかかわらず4万年前に絶滅しました。体力や体格が優っていた彼らが滅び,華奢でひ弱なホモ・サピエンスが生き延びたのは何故でしょうか。その答は「仲間」です。家族単位か10数名のグループでしか生活しなかったネアンデルタール人に比べ,ホモ・サピエンスはもっと大きな集団を作って生活しました。弱いからこそ狩りも協力しなければなりませんでした。この仲間と生きる,仲間と協力することを体験した皆さんは,先ほども言ったようにそれを誇りとし,宝としてほしいし,これからもそれを大切にしてほしいと願っています。

52期の皆さん,賢明学院中学校で学んだ者として誇りをもって次のステージへ進みなさい。

自分たちが「地の塩,世の光」であることを忘れずに日々過ごしなさい。

皆さんのこれからの生活が愛と希望に溢れ,充実した毎日となることを祈り願って,私の式辞といたします。