優しい心を育むカトリック教育

2020/04/07

中学高等学校入学式

今日,例年と比べ半分に短縮した入学式が生徒と教員だけで行われました。

祝詞もなければ校歌斉唱もない入学式でしたが,在校生代表歓迎の言葉は生徒会長の人柄がよく表れた内容で新入生も大きな希望を感じたと思います。

式が終わってからは,日頃は校内での使用を禁止しているスマホを使って記念写真を撮っていました。想い出の1ページになればと願います。

私の式辞は,次の通りです。

 

58名の中学新入生,147名の高校新入生の皆さん,ご入学おめでとうございます。

新入生の皆さん,今,世界中が新型コロナウイルスの感染と戦っています。昨日の髙畠理事長先生のお話にもあったように,「○○ファースト」という自己中心の発想を超えていかねばこの危機は乗り越えていけません。きっと皆さんが大人になっても,中学校のまた高等学校の入学式は新型コロナウイルスで大変な時に,両親も行けずに自分たちと先生だけで行われたことを覚えているでしょう。でも,その後人類が力を合わせて新型コロナウイルスを克服したという記憶が続くことを願います。それと暗い話題だけでなく,今年の入学式は中学校が理数コースと総合コース,高等学校には関西学院大学特進サイエンスコースという新しいコースができたKENMEI REBORNの入学式だったと記憶してほしいです。

さて,賢明学院は約2000年前,ユダヤに生きたイエス・キリストの生き方に倣いたいと考えるカトリック学校のひとつです。大阪では7校,全国でも中学は97校,高校は113校しかありません。また,賢明学院は約200年前フランスに生き,まさにイエス・キリストに倣いたいと生涯を教育にささげたマリー・リヴィエの精神を根本におく学校です。エントランスに並んだ国旗は世界の姉妹校がある国々ですが,日本には姫路の賢明女子学院とこの堺の賢明学院2校だけです。

私はこの10日ほどの間に,潜伏キリシタンに関するテレビ番組と映画『パウロ 愛と赦しの物語』を観ました。パウロのことを知らない人も多いでしょうが,イエスの死後キリスト教を世界に広めた人で新約聖書の中に彼の書いた手紙が沢山入っています。彼が宣教したキリスト教はローマ帝国で迫害され,パウロ自身も殉教します。キリスト教の歴史の中で,この初代教会とキリシタンへの迫害は二大迫害と呼ばれるほど過酷なもので多くの人が殉教しました。

しかし,この迫害の中でパウロは悪に対して悪で応じてはいけないと教えます。自分たちの生き方の中心にイエス・キリストの教えた「愛」がなければと諭すのです。そして,映画の中で「愛の賛歌」と呼ばれる「コリントの信徒への手紙13章」が語られる場面は印象的でした。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず,自分の利益を求めず,いらだたず,恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び,すべてを信じ,すべてを望み,すべてに耐える。」

きっと,日本のキリシタンの人たちもこの聖書の言葉を支えに苦難を乗り越えたでしょう。そして,私にはこの聖書の言葉が新型コロナウイルスに苦しむ私たちへの応援歌のように思えました。今まで以上にこれらの言葉が心にストンと落ちたのです。困難の時に人の所為にしたり,神の所為にしたり,苛立ったり,絶望したり,文句ばかり言ってしまう私たちに,それでは何の解決にならない,愛に生きなさい,愛を信じなさい,愛こそ困難に打ち勝つ力だと励ましてくれているのです。私たちが「すべてを忍び,すべてを信じ,すべてを望み,すべてに耐える」愛に支えられてこの苦難を乗り切りたいと思います。

そして,もう一つその愛について教えてくれる「あしあと」という詩を皆さんに紹介します。

 

  あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主イエスとともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

 わたしと語り合ってくださると約束されました。

 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

 ひとりのあしあとしかなかったのです。

 いちばんあなたを必要としたときに、

 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、

 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

もしかして,イエス・キリストは今,私たち一人ひとりを背負ってなぎさを歩いておられるのかもしれません。

皆さんの学校生活が愛と希望に溢れ,充実した毎日となることを祈り願って,私の式辞とします。