優しい心を育むカトリック教育

2020/02/28

全日制課程卒業証書授与式

本日,高等学校全日制課程卒業証書授与式が行われました。

コロナウイルス感染防止のために,高校2年生の出席は止め,来賓の方々もご欠席が多い式となりましたが,175名が無事巣立って行きました。

私の式辞は次の通りです。

 

49期175名の皆さん,ご卒業おめでとうございます。保護者の皆さまもお子様のご卒業,おめでとうございます。ここまで成長され賢明学院を巣立っていくお子様の姿をご覧になって感無量の想いではないでしょうか。

また,ご来賓として,霞ヶ丘自治会長久保様,遠藤副会長をはじめ奉献会役員の皆様,3年生2年生の理事の皆様、卒業生を送るこの喜びの場にご臨席賜り,心から感謝申し上げます。今後とも,ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

さて,卒業生の皆さん、一昨日私は卒業講話として1時間話をしました。それは皆さんへの贈る言葉です。その中でイエス・キリストの行動原理について話しました。

実は,あの時間に私は久しぶりに「宗教」の授業の醍醐味を感じました。私は前任校で15年間,高校3年生に「カトリック倫理」という宗教の科目を教えていました。その最後の授業が,皆さんに話した「レプラに対するイエスのいやし」です。何が醍醐味か。授業が終わりに近付くと居眠りしたり,うつむいたりしていた生徒が顔を上げ熱心に話を聴いてくれることです。そんな状況が一昨日の校長講話でも起こったと思っています。どれだけ,皆さんの心に届いたのか,心に響いたのか,心を震わせたのか分かりません。でも,イエスに倣う生き方が少しでも心に残ったのならと願っています。

イエス・キリストに倣う生き方,その一つが「弱い」側に付くことだと言いました。そして,それは難しい生き方だと。日本には「長いものに巻かれろ」という言葉があるように,強い側に付いて生きる方が楽です。しかし,弱肉強食と言うように私たちの世界はいつも強い側が勝ち弱い側が負ける,強い側がいい目を見,弱い側が損をするのでしょうか。

歴史を振り返るとどうもそれは真理ではないようです。まず,地球上で圧倒的な強さを持っていた恐竜は,6600万円前に絶滅しました。恐竜に比べると体も小さい私たちの祖先である哺乳類はその危機を生き延び進化していきました。

次は,以前BULLETINに書きましたが,ヒトの祖先は,森からサバンナに追い出された弱い群れでした。人類の祖先の進化の歩みは、「猿人→原人→旧人→新人」という単純なものではなく,現在分かっているだけでおよそ20種の人類が時には共存し、誕生と絶滅を繰り返していたそうです。20万年前に誕生したホモ・サピエンスはネアンデルタール人と同時期に共存していました。それもネアンデルタール人は今までの説を覆して,知性を持ち言語を操り高度な文化を持っていた可能性が高いと言われています。にもかかわらず4万年前に絶滅しました。体力や体格が優っていた彼らが滅び,華奢でひ弱なホモ・サピエンスが生き延びたのは何故でしょうか。その答は「仲間」です。家族単位か10数名のグループでしか生活しなかったネアンデルタール人に比べ,ホモ・サピエンスはもっと大きな集団を作って生活しました。弱いからこそ狩りも協力しなければなりませんでした。

新約聖書の中でパウロはこう言っています。「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。」(Ⅰコリ1222-24)。また,パウロはこうも言っています。「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(Ⅱコリント12:9)。弱かったからこそ様々な逆境,試練を乗り越え,進化を成し遂げ,仲間と協力して生き延びた人類の祖先を見る時,パウロはそんな意味で言ったのではないでしょうが,「弱さ」を喜び誇りたいと思います。

今,日本は世界は新型コロナウイルスの感染で大変な時期です。しかし,過去の人類がそうであったように,この危機を皆で協力して乗り越えようではありませんか。必ず,乗り越えられると信じています。そして,皆さんには「弱さ」の中にある真理を,つい私たちが見落としてしまいそうな真理を気付ける人間に,弱いが故に力が生まれる真理を体験できる人間になってほしいと願います。

母校のことを知りたいのなら,時々学校のHPを覗いてください。私も校長ブログを書いています。

49期の皆さん,賢明学院の卒業生として誇りをもって巣立っていきなさい。

自分たちが「地の塩,世の光」であることを忘れずに日々過ごしなさい。

皆さんの人生が愛と希望に溢れ,充実した毎日となることを祈り願って,私の式辞といたします。