優しい心を育むカトリック教育

2021/02/26

全日制課程卒業証書授与式

 

本日,全日制課程の第50回卒業証書授与式が行われました。

コロナ感染防止のために来賓はお招きせずに,生徒と人数制限した保護者と教職員だけの式となりました。

校歌や聖歌も歌わず,証書授与も時間短縮の形を取りましたが,キャンドルサービスで退場する「光のセレモニー」は例年通りに行いました。

私の式辞は次の通りです。

 

50期169名の皆さん,ご卒業おめでとうございます。保護者の皆さまもお子様のご卒業,おめでとうございます。ここまで成長され賢明学院を巣立っていくお子様の姿をご覧になって感無量の想いではないでしょうか。

さて,卒業生の皆さん、この式辞を用意するために過去の卒業式の式辞を読み返し,果たしてこの言葉の一つでも卒業生は覚えてくれているだろうかと思いました。同じようなことを15日の卒業講話でも話しました。今までの私の話がいくつ皆さんの心に届き,皆さんの心に残ったかということを。

何故自分が教師になったかと振り返る時,教えるのが好きと言うのは一番目ではないと感じました。生徒の人生に関わりたい,生徒との関わりの中で人生の道しるべを残せたら,生徒の人生の水面に石を投じてその波紋が広がっていけばと願って教師をやっているのではないかと思いました。

卒業講話で私はイエス・キリストを,「歴史上,人間の尊厳を最も深く理解し実感し,それに基づいて行動した人」と紹介しました。この人間の尊厳,いのちの尊さを伝えたい,それも私が教師になった理由の一つでしょう。いのちに関して,皆さんは大切な仲間であった佐野一樹君が亡くなったことを通して生と死の深い意味を考えたと思います。私たちにとっても受け入れがたい悲しい出来事でしたし,今も心の傷が癒えないままの人もいるかもしれません。しかし,先月の「追悼祈りの集い」で髙畠理事長がお話しくださった「死は神の国への誕生だ」という言葉に希望を持ってほしいと願います。

もう一つ,いのちの問題と直面することがありました。それは新型コロナウイルスの感染です。今もコロナと戦っている感染者の人たちが沢山いますし,いのちの瀬戸際にいる重症患者の人たちもいます。そして,その人たちの治療のために限界を超えながら働いてくださっている医療従事者の方々がいます。

これも卒業講話で,神の似姿として造られた人間が一番神に似ているところは「奉仕する」ことだと話しました。人間は奉仕することによって本当の幸せ,喜びを感じるのだとも言いました。今はまだそう思えない人もいるかもしれません。先ほど話した医療従事者の方々にはこの言葉を超えてただただ感謝の思いしかありませんが,どうぞ「奉仕する」ことを校訓としている賢明学院で学んだことを忘れないでほしいです。

コロナ禍に話を戻しますが,この感染によって新しい世界が拓けたこともありました。まず,Webの活用が一層広がりました。コロナ禍に翻弄される1年ではありましたが,皆さんも4月13日からオンライン授業で学ぶことができました。対面授業には敵わなかったかもしれませんが,ICT教育に早くから取り組んできた成果として,また先生方の努力によってどの学校よりも早く始めることができたのです。

Zoomを利用する点では,私も月に数回それによる会議がありました。ほとんどは東京の先生方との会議でしたが,便利だと感じました。年に10回以上東京へ出張した年もあっただけに,東京へ行かなくても会議や研修ができる良さを実感しました。

もう一つ,私がコロナ禍によって分かったことはインフルエンザの対策です。インフルエンザは全国の累積の患者数が今月になってからやっと1000人を超え,例年の1000分の一だそうです。コロナ対策のために私たちがやっているマスク着用,手洗い,消毒によってここまで封じ込めることができるのです。これはコロナが終息しても続ける意味があると感じました。

こう考えると私たちは困難の中に合ってもそれを克服する力を持っていますし,新しい発見をする力も持っています。皆さんもそうだったと思います。コロナ禍に加え,大学入試制度の変更で右往左往することもあったかもしれませんが,それを乗り越え今日の日を迎えました。そのことを自信としなさい。そして,希望の宗教であるキリスト教に基づいた教育を受けてきたことも人生の力にしてほしいです。

母校のことを知りたいのなら,時々学校のHPを覗いてください。私も校長ブログを書いています。

50期の皆さん,賢明学院の卒業生として誇りをもって巣立っていきなさい。

自分たちが「地の塩,世の光」であることを忘れずに日々過ごしなさい。

皆さんの人生が愛と希望に溢れ,充実した毎日となることを祈り願って,私の式辞とします。