優しい心を育むカトリック教育

2018/09/07

台風21号

 

各地に被害をもたらした台風21号,被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

台風通過時に私も単身赴任しているマンションから外を眺め,被害がなければよいがと案じていました。

やっと風雨が峠を越したなと安心した夕方,学校で様々な被害が出ていると連絡を受けました。

すぐに学校へ向かうと,街路樹が倒れ,信号機が横を向き,看板が飛び,暴風のすさまじさを見ることになりました。

学校へ着くと中高校門の鉄の扉が道路へ飛ばされており,何よりもショックだったのは小学校校門の桜の木が倒れていることでした。

入学式のシーズンに新入生を華やかに出迎えていた桜の木が,根本付近で折れ道路をふさいでいるのです。

数名しか学校には来れませんでしたが,ともかく道路をふさいでいるものを撤去しようということになり,中高校門,幼稚園校門,学院駐車場の扉を立て開放状態にして再度倒れることがないようにしました。

そして,倒れている桜の木を鋸で切って車が通れる幅を確保しました。

作業が終わる頃には風雨もおさまりましたが,復旧作業をしなければ子どもたちを登園登校させることができないと判断し,5日も臨時休校にしました。

 

5日は出勤できた教職員が協力して片付けをしました。

8時時点では半数も集まりませんでしたが,まず,学校周辺道路の小枝や葉っぱの清掃から始め,女性の先生が多い幼稚園には中高男性教員が手伝いに行き,1時間ごとに休憩を取りながら作業を進めました。

被害の全容はホームページに載せていますが,早朝からお手伝いに来てくださった保護者の方,また,ボランティアで気持ちよく働いてくれたバスケットボール部サッカー部を中心とした生徒たち,ご家族で駆けつけてくださった方,そして奉献会役員の皆様の助けを借りて,何とか6日に登園登校できるところまでやり遂げました。

お世話になった皆様には,この場を借りて改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございした。

教職員だけでは1日で作業が済まなかったと思います。

広いグラウンドのゴミ拾いを生徒たちがしてくれなかったら,暑さでバテバテになっていた私たちに果たしてその仕事をする余力が残っていたかと感じます。

 

台風に続き北海道では大きな地震がありました。

想像を絶する山崩れも起こり,また多くの方が被災されました。

昨日,保護者対象の聖書講座の時に,こんな質問を受けました。

「何故,神様はこんな災害を起こらないようにしてくださらないのですか?」

これに似た質問を生徒からもよく受けました。

「何故,神様がいるのならこの世界の苦しみや悲しみを取り去ってくださらないのですか?」

私はその質問に対して,こう答えていました。

「神様は全知全能の方なので,この世界の苦しみ,悲しみを取り去ろうと思えば,この瞬間にできると思う。でも,神様はそんなやり方を望んでおられない。この弱くてわがままで自分勝手な私たちを使って,苦しみや悲しみが少しでもなくなる世界になることを望んでおられるのでは。」

昨日の質問には7歳の少女に対するローマ法王ベネディクト16世の言葉を紹介しました。

「何故こんな悲しいことが起こるの」という東日本大震災で被災した少女の質問に対して,ベネディクト16世は「私たちは答えを持っていませんが、キリストがあなた方と同じく苦しまれたことは知っています。悲しみの中にあっても、たとえすべての答えを知らないとしても、神は私たちの側におられ、私たちを助けてくださいます」と答えました。

最後に,先ほど書いた私の回答とよく似た言葉を,イエズス会のアントニー・デ・メロ神父の著作『小鳥の歌』で見つけたので紹介します。

「街で薄い着物一枚で、満足に食事も出来ず、寒さに震えている一人の小さな女の子を見ました。わたしは怒り、神に言いました。『あなたはなぜこんなことをお許しになるのですか?なぜ何かをしてくださらないのです?』

しばらくの間、神は何も言われませんでした。その夜、神は突然お答えになったのです。『わたしは確かに何かをした。わたしはおまえをつくった』」