優しい心を育むカトリック教育

2017/12/11

校長養成講座

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土曜日の高校入試説明会に,多数ご来校いただきありがとうございます。

ハンドベル部のクリスマスソングの演奏でお迎えできて,クリスマスの雰囲気を感じていただけたのではと思います。

本当は雰囲気だけでなく,カトリック学校で祝うクリスマスの深い意味も体験していただければと考えていますが,それは入学してからのお楽しみでしょうか。

毎年,この第3回の説明会に来てくださる方が多いのですが,他校の良さと比べながら本校を選んでいただければと願っています。

私は,校長の挨拶をしてすぐに出張へ出かけました。

3年前から始まった「カトリック学校の校長のための養成講座」に参加するためです。

以前ブログにも書きましたが,私は9年前から東京で始まった「カトリック学校に奉職する教職員のための養成塾」のスタッフを準備段階からさせていただいています。

月2回ある養成塾にほとんど出席できませんが,「校長養成講座」は私自身の大きな学びになるので今回も遅れて参加しました。

 

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関東を中心に,スタッフを合わせて18名が集まりました。

内容は,校長同士の分かち合いや発表と森一弘司教様の講話です。

森司教様はフランシスコ法王の言葉を引用しながらお話を始められることが多いのですが,それは法王の信仰に共感されているからだと思います。

フランシスコ法王は時には過激に聞こえる,キリストの教えの原点に立ち返った発言をされます。

今回,森司教様は「憐みの神」について詳しく話してくださいました。

 

憐みという漢字の元の意味は,台の上で燃えている象形文字から来ている。

そこから,みじめな人を放っておけない自分の内から燃え上がる思いを表している。

それに対して,慈しみは芽生えたものを糸で支えるが原意で,祖父母が孫を可愛がるような思いである。

だから,神の本質は慈しみではなく憐みである。

憐みと言えば上から目線と感じる人もいるが,みじめな人を放っておけない,そばに駆け寄りたい思いのこと。

では,私たちが憐みの神にならい,憐みの人になるには,①相手の痛みを感じる「共感」,②それによって自分が揺さぶられる「共振」,③自分も共に苦しむ「共苦」,そして,④手を差し伸べ走り寄っていく,⑤共に歩むことが必要。

皆さんの学校の先生方にこれらが育っていますか。

 

養成講座は,昨年と同時期に同じ会場ある湘南国際村センターで開かれました。

去年は全く見えなかった富士山が,遠望ながらきれいに見えていました。

先週は2回関東へ出張しましたが,両方ともきれいな富士を見ることができました(1枚目が10日センターから,2枚目が5日新幹線から撮った富士山です)。

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