優しい心を育むカトリック教育

2017/04/18

高等学校通信制課程入学式 式辞

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新入生の皆さん,ご入学おめでとうございます。校門の桜も皆さんの入学を待つかのように,今日もきれいに咲いています。

保護者の皆さまもお子様のご入学,おめでとうございます。賢明学院の制服に身を包まれ,新しいステージへ一歩踏み出されたお子様は輝いて見えるのではないでしょうか。

また,ご来賓として,霞ヶ丘自治会長冨士松様,久保会長をはじめ奉献会役員の皆様,通信制課程を始めるにあたってお世話になった皆様,新入生を迎えるこの喜びの場にご臨席賜り,心から感謝申し上げます。今後とも,ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

さて,新入生の皆さん,皆さんは今日の賢明学院の入学式を迎えるまでに,いろんな思いを抱えながら生活してきたかもしれません。しかし,今日から賢明学院が皆さんの居場所のある学校,登校してきてほっと安心できる学校にになることを心から願っています。今日は賢明学院で学ぶ喜び,幸せを感じるスタートの日です。賢明学院に入学して良かった,保護者の皆様もそう感じていただくスタートの日です。

私は通信制課程を始めて本当によかったと思ったことは,生徒の表情がどんどん明るくなり,生き生きとした表情になっていくこと,そして,学年を超えて皆が仲良くなっていくことです。

皆さんの先輩もこんなことを感じてくれています。

「賢明学院の通信制の生徒になってよかったことは,自分がとても成長できたと感じることです。勉強を自分でしようという気持ちになれたし,学力も上がったと思います。諦めてしまっていた友人関係や,自分はもう失ってしまったと感じていた活躍の場を再び取り戻すことができました。以前までは高校を卒業できればいいと思っていましたが,今はもっともっと高校生活を充実させたいと思えるようになりました。」

ぜひ皆さんも同じような想いで,この3年間を過ごしてほしいと願っています。

賢明学院は約2000年前,ユダヤに生きたイエス・キリストの生き方に倣いたいと考えるカトリック学校のひとつです。大阪では7校,全国でも高校は113校しかありません。通信制課程としては3番目にできた学校です。

また,賢明学院は約200年前フランスに生き,まさにイエス・キリストに倣いたいと生涯を教育にささげた創立者マリー・リヴィエの精神を根本におく学校です。エントランスに並んだ国旗は世界の姉妹校がある国々ですが,日本には姫路の賢明女子学院とこの堺の賢明学院の2校だけです。

では,マリー・リヴィエの精神とは何でしょうか。今日はマリー・リヴィエの言葉を一つ紹介したいと思います。

「あなたにできるよいことをぜんぶ果たしなさい。神はどれほど喜ばれることでしょう。」

学院全体でこの言葉を大切にしています。幼稚園や小学校では,もう少し分かりやすく「あなたのできるよいことは何でもしなさい」と教えます。

「よいこと」とは何でしょうか。私は「人が喜ぶこと」だと思います。そして人が喜ぶことが,神にとっても大きな喜びであるとマリー・リヴィエは言いたいのではないでしょうか。

私たちは誰でも二つの心を持っています。一つは「暖かく,優しい心」,一つは「冷たく,意地悪な心」です。そのどちらを人に表していくか,が問われています。冷たく意地悪な心では人を喜ばすことができないのは誰でも分かるでしょう。そのことを皆さんは人よりもよく分かっているかもしれません。自分が痛みを感じた経験が大きいほど人に優しくできるのです。自分が経験した悲しいこと,苦しいことを,ぜひ自分の優しさにかえてください。さらに賢明生になるとは,「あなたのできるよいことは何でもしなさい」をいつも意識して実行していくことなのです。

最後に,キリスト教のことは何も知らない人もいるでしょう。でも,せっかく賢明学院に入ったのですから,キリスト教の素晴らしさを知ってほしいし,体験してほしいと願っています。そして,イエス・キリストが何を教え,何を行い,どういう方か知ってほしいのです。

その一つとして,イエスがいつも寄り添ってくださる方であることを「あしあと」という詩で紹介したいと思います。

 

    あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

 わたしと語り合ってくださると約束されました。

 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

 ひとりのあしあとしかなかったのです。

 いちばんあなたを必要としたときに、

 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、

 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

皆さんの学校生活が愛と希望に溢れ,充実した毎日となることを祈り願って,私の式辞といたします。