優しい心を育むカトリック教育

2020/07/30

1学期終業式

校門の花壇も夏の花が咲く中,今日1学期終業式がありました。始業式と同じく放送での式です。

私は次のような話をしました。

 

新型コロナウイルスの感染に翻弄された1学期が終わりました。皆さんも大変な思いをしたでしょうが,誰もが体験しなかった日々を乗り切れたのは皆さんや先生方の努力です。そして,「平常」がいかにありがたいことかを実感しました。

始業式の放送で,この新型コロナウイルスの感染は自分の生き方を問うものだと話しました。その時,NHKスペシャルのドキュメントを紹介しました。どんな内容かと言うと,ニューヨークで感染が広がった時にアメリカ中の医療従事者がニューヨークへ集まった話や,ワクチン開発の被験者に自ら申し出た人がいた話などを紹介しました。

こういう困難な時に自分のことだけ考えずに,人のために働きたいと考える人がいます。それで思い出すのが,東日本大震災です。地震や津波で亡くなる人も、家族も家も全てを無くし言葉失う人もいなければよかったと誰もが思いました。しかし,自分の命を賭けて人を救おうとした人が沢山いたことを決して忘れません。イエスは「友のために自分の命を捨てること,これ以上に大きな愛はない」と教えました。でも,そんな愛を実行できる人なんかそういるものではないし,そんな場面もないと思っていました。だけど,この大震災で普通の小父さんが小母さんがお兄さんがお姉さんがその愛を実行したのです。人間って弱くて醜くて自分勝手でわがままな存在,だけどイエスの教えた最高の愛を実行できる存在でもあります。

毎週のようにコロナを取り上げた番組があります。それを観ると,医療従事者の人たちの献身的な働きが報じられています。「もう限界を超えている」「使命感だけではやれない」という言葉もありましたが,それでも必死に取り組む姿を私は決して忘れません。

ところが,そういう医療従事者を差別したり,いじめたりする人もいるのです。それも人間の姿。私たちも東日本大震災の時に自分の命を賭けて人を救おうとした人と同じ心を持ち,新型コロナウイルスに必死で戦う医療従事者の人たちと同じ心を持ち,医療従事者を差別する人と同じ心を持っています。果たしてどちらの心に従うか問われているのです。新型コロナウイルスの感染はなければよかったに違いないけれど,困難な時こそ自分のことだけでなく人のことを考える,人のことを優先するという賢明学院が教えてきたことをもう一度一人ひとりが考えてほしいと願います。