優しい心を育むカトリック教育

2018/12/24

BULLETIN 12月号② 「クリスマスタブロー」

今年の「クリスマスタブロー」は,初めて午前午後の2回公演を実現しました。昨年までは席数に限りがあるので,出演する生徒の保護者にしか案内できませんでした。それを昼の1時から2回目の公演をすることで大勢の皆さんに来ていただくことができました。来場してくださった皆さんから感動したという声を沢山いただき,確かに昨年までも素晴らしかったですが,今年の感動はより大きなものでした。昨年も書きましたが,いつか堺で一番多くの皆さんが集うクリスマスのお祝いになればと願っています。

タブローはあくまで祈りの集いとして生徒たちが作り上げていますが,今年は音楽的にも素晴らしかったです。毎年中学1年生が聖歌隊になりますが,これほど声が出た学年はないでしょう。そして,ソリストたちの高いレベルは誇れるものでした。タブローの流れも途切れることなく,祈りの雰囲気と緊張感が保たれていました。2回目の公演に来てくれた園児や小学生たちも見入っていました。期末考査が終わってからタブローの練習に入りました。この短時間でここまで完成させるために,どれだけの時間をキャストやスタッフが使ってくれたかと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。

私はタブローの始まりに次の話をしました。

クリスマスを通して私たちはどんなメッセージを受け取ればよいのでしょうか。クリスマスが救い主であるイエス・キリストの誕生を祝うことは皆知っています。では,この誕生物語に込められた意味は何なのでしょうか。それは「キリストの生き方の姿勢」言葉を変えると「神の私たちへの姿勢」が表れています。今日のタブローでも登場しますが,誕生物語には重要な人物が2グル-プ出てきます。一つは羊飼いたち,もう一つは博士たちです。

クリスマスのキーワードの一つは「神は決して見捨てない」です。羊飼いたちは当時の社会で最も貧しい人たちであり,人々から顧みられることもない人たち,見捨てられた人たちでした。その羊飼いたちに救い主誕生の知らせが最初に告げられました。人々から忘れられた存在である羊飼いを,神は決して忘れていない,見捨てていないことの表れです。東方の博士たちはどうでしょうか。彼らは神の教えを知らない世界で生きてきた人たちです。その人たちのことも神は決して忘れていたわけでもありませんし,見捨てていたわけでもありません。キリストはその人たちにとっても救い主なのです。

もう一つのクリスマスのキーワードは「仕えられるためではなく仕えるために来た」です。何故,神である救い主は立派な宮殿ではなく貧しい馬小屋で生まれたのでしょうか。それは「仕えるために来た」姿勢を表すためです。そして,それは神の私たちへの姿勢でもあります。人に奉仕することがいかに大切で,それは生きる意味でもあるし,私たちが本当の幸せをつかむ道でもあるのです。羊飼いたちは仕えることを強要された人たちだったかもしれません。しかし,仕えること,奉仕することに本当の喜びがあることを,飼い葉桶に寝かされている救い主を見て悟ったのかもしれません。博士たちはそれまで人に奉仕する生き方を考えたことがなかったかもしれません。しかし,貧しい姿で生まれた救い主を拝むことによって,新しい生き方へ向かう決意をしたかもしれません。

さて,私たちの生きる姿勢はどうでしょうか。クリスマスは自分の生きる姿勢を問い直す日でもあります。自分のことだけを考えて生きるのか,他者に目を向けて生きるのか。

2回目の公演では皆さんに生徒たちが取り組んだ193(いくみ)募金とお米一握り運動を紹介しました。お米は37キロ集まりました。講演後に呼びかけた193募金は29,556円集まりました。ご協力に感謝します。(193募金やタブローは校長ブログをご覧ください)

最後になりましたが,よいクリスマスと新年をお迎えください。