優しい心を育むカトリック教育

2020/12/23

BULLETIN 12月号 「クリスマスのお祝い」

コロナ禍の影響ですとは言い難い, BULLETINの発行が学期に1回になってしまったことを先ずお詫びいたします。ペーパーからKENMEI.infoによる配信に変えた途端に発行回数が減ってしまいました。確かに2学期もほとんどの行事を中止せざるを得なかったので,私自身も取り上げる材料が減ったとは言え,怠慢でしかなかったと反省しています。

2学期終業式に出すBULLETINは,毎年クリスマスタブローを取り上げていました。私がタブローで話した内容を紹介していました。3年前は「静けさ」と「喜び」をキーワードに,「クリスマスのお祝いを静けさの中で味わいたいです。もう一つ,私たちはうれしいことがあると人に伝えたいです。喜びを人と分かち合いたいというのは,私たちの自然な思いです。クリスマスは,救い主誕生という大きな喜びを分かち合う日です。」と話しました。

2年前は,「神は決して見捨てない」をキーワードに,「羊飼いたちは当時の社会で最も貧しい人たちであり,人々から顧みられることもない人たち,見捨てられた人たちでした。その羊飼いたちに救い主誕生の知らせが最初に告げられました。人々から忘れられた存在である羊飼いを,神は決して忘れていない,見捨てていないことの表れです。東方の博士たちはどうでしょうか。彼らは神の教えを知らない世界で生きてきた人たちです。その人たちのことも神は決して忘れていたわけでもありませんし,見捨てていたわけでもありません。キリストはその人たちにとっても救い主なのです。」と話しました。

昨年は,「来日された教皇フランシスコはイエス・キリストのことを『最も隅に追いやられた人』だと言いました。馬小屋で生まれたことはそのことをよく表しています。今,世界は『〇〇ファースト』という自分たちが一番,自分たちだけがよければいいという考えが広がっています。しかし,賢明学院で学ぶ皆さんは,それは間違っているとはっきり主張してほしいです。自分や自分たちだけがよければいいのではなく,『最も隅に追いやられた人』に気付き,心に留め,行動してください。」と話しました。

さて今年は,コロナ禍のためにカトリック学校として大切にしてきたタブローもできませんでした。体育大会や秋麗祭の中止を決めた時も断腸の思いがありました。そして,このタブローだけは,例年とは形を変えてでも実現したいと検討してきました。2回公演を生徒だけの分散参加とする,全員での合唱は止めるなども考えましたが,最終的に感染防止を最優先に中止を決めました。その決定の翌日に大阪府は赤信号を点灯させました。

タブローができない寂しさ悲しさを経験して気付いたのは,世界ではコロナ禍以外でもクリスマスを祝えない人がいるということです。戦争,病気,貧困など様々な理由でクリスマスどころではない人たちがいます。もちろん,宗教的な理由で祝わない人もいます。しかし,その人たちの中でも別に祝いたいことがあるのに,先に挙げたような理由で祝えない経験をしている人がいるはずです。考えてみると,そういう人たちにこそ救い主誕生の知らせを伝えたい,それによる喜びや慰めを分かち合ってほしいと,神は何よりも望んでおられるのではないでしょうか。極端な言い方をすれば,「普通に」クリスマスを祝うことができれば,その喜びの本当の意味が薄れるのかもしれません。

今日はタブローができませんでしたが,創立記念日と同じように各教室に映像を配信して祈りの集いを持つことができました。それは例年と比べるとささやかなお祝いだったかもしれません。でも,今も書いたようにコロナ禍だからこそ分かち合える思いがあったように感じました。まして,生徒たちは祈りの集いが終わってから,奉献会からいただいたチョコレートとクッキーのプレゼントに大喜びしていました。

最後になりましたが,今年も193(いくみ)募金とお米一握り運動にご協力ありがとうございました。193募金はタブローでの募金はありませんでしたが,生徒会が校門で集めてくれた募金が39,695円集まりました。お米は45キロ集まり,小学校と合わせて明日釜ヶ崎に届けます。

自粛が求められている毎日ですが,よいクリスマスと新年をお迎えください。