優しい心を育むカトリック教育

2018/03/02

BULLETIN 2月号② 「平昌冬季オリンピック」

熱戦の平昌冬季オリンピックが終わり,手持ち無沙汰に感じている人もおられるかもしれません。午前の競技をLIVEで観戦するのは難しかったですが,それでも夜の番組で感動の場面を興奮しながら見ることはできました。47期生が巣立つ高校卒業証書授与式が明日行われますが,その生徒たちもオリンピックを通して感じるものが沢山あったと思います。それで思い出すのが,札幌オリンピックです。私が高校を卒業する年に行われたオリンピックを,受験が残っているにもかかわらず毎日見ていました。私の同世代の方は覚えておられるでしょう。「銀盤の妖精」とすごい人気になったアメリカのフィギュアスケート選手,ジャネット・リンのことを。演技の途中で尻餅をついて銅メダルで終わりましたが,その笑顔は人々を魅了しました。

さて,話を平昌オリンピックに戻します。メダルラッシュに日本中が沸き立ちました。どのメダルも印象的で,選手の喜びが私たちの喜びとなりました。そして,メダルに届かなかった選手たちにも心からの拍手を送りたいです。個人的には高梨沙羅選手の金メダルを応援していました。4年前のソチ五輪でメダル確実と言われながら4位に終わった時,17歳の少女が感じた重圧はどれほどのものだったかと思いました。今回もメダルへのプレッシャーは相当なものだったでしょう。しかし,今の実力通りのメダルをしっかりと取れたところに,高梨選手のこの4年間の努力と成長があったと思います。

今回のオリンピックでは今までに増して,日本のメダリストたちがインタビューで「人々の支え」という言葉を口にしたように感じます。高梨選手もそうでしたし,奇跡の復活を成し遂げ連覇した羽生結弦選手もそうでした。団体競技であるカーリングやスピードスケート,女子団体パシュートもチームワークの良さ,支え合う気持ちを語ってくれましたが,個人競技でも支えてくれた人たちへの感謝を多く聞きました。それらの言葉が,決して口先だけでないことも感じました。「ありがとう」と「ごめんなさい」は,人間関係を築く元になる言葉だと考えていますが,卒業生たちもぜひそのことを忘れないでほしいと願います。

もう一つ,今回のオリンピックで私の心に残ったのは,ノルディック複合の渡辺暁斗選手の言葉です。クロスカントリーや複数で滑るスピードスケートは先頭を走ると,風の抵抗を受け体力を消耗します。女子マススタートの髙木菜奈選手は小柄な体をオランダ選手の後ろに着けて,見事金メダルを取りました。それは卑怯なのではなく作戦として正しい判断だったと思いますが,渡辺暁斗選手は「正々堂々と戦いたい」と先頭を入れ替わりながらレースを進めていきました。ノーマンヒル個人では最後力尽きて銀メダルに終わりましたが,清々しいものを感じました。よく「スポーツマンシップ」という言葉が使われますが,この潔さはスポーツマンだけに求められているのではないでしょう。賢明学院を巣立って行く生徒たちも,このような姿勢でもってこの社会を世界を生き抜いてほしいです。きれいごとでは生きていけないと考える人もいるでしょう。でも,口先,小手先で生きてどんな成功を収めたとしても,本当に満足した人生になるのでしょうか。