優しい心を育むカトリック教育

2018/05/20

BULLETIN 5月号 「人類誕生」

3月の本紙で私はニュース以外ほとんどテレビを見ないと断って,でも毎週録画している番組がいくつかあると書きました。そして,NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を取り上げました。今回は4月と先日放送があったNHKスペシャル「人類誕生」に触れてみます。

私は大学生の頃に文化人類学やまさに人類誕生に関心があって,少し勉強したことがあります。もうその頃には,アダムとエバが最初の人間という束縛?!からは解放されていました。これは授業や聖書講座で強調することですが,聖書は科学や歴史の本ではなく信仰のメッセージを伝えるものです。そこを間違うとファンダメンタルな読み方になってしまいます。

人類誕生に話を戻します。私自身の今までの知識は,何らかの理由で二足歩行を始めた(私の好きな説の一つは,湖で顔だけ水面から出して足探りで貝を採っていたのが端緒になったという説です)ヒトの祖先は,森からサバンナに追い出された弱い群れでした。ところが石器を作りそれを武器として使い,犬歯と噛み砕く顔面の筋肉が退化したおかげで頭蓋骨の容量が増え,脳が発達してヒトへ進化して行ったというものです。今回の番組でまず知ったことは,今、相次ぐ新発見で人類の歴史が次々と塗り替えられ,およそ700万年前に誕生したとされる人類の祖先の進化の歩みは、「猿人→原人→旧人→新人」という単純なものではなかったこと。現在分かっているだけでおよそ20種の人類が時には共存し、誕生と絶滅を繰り返していたことです。

さらに驚いたことは,20万年前に誕生したホモ・サピエンスはネアンデルタール人と同時期に共存していたことです。それもネアンデルタール人は今までの説を覆して,知性を持ち言語を操り高度な文化を持っていた可能性が高いそうです。にもかかわらず4万年前に絶滅しました。体力や体格が優っていた彼らが滅び,華奢でひ弱なホモ・サピエンスが生き延びたのは何故か。その答は「仲間」でした。家族単位か10数名のグループでしか生活しなかったネアンデルタール人に比べ,ホモ・サピエンスはもっと大きな集団を作って生活しました。弱いからこそ狩りも協力しなければなりませんでした。そして,その仲間作りに一役買ったのが「宗教」だと考えられています。もちろんそれは原始宗教であり,中心はシャーマンでしょう。

ここで思い出すのは,人間が社会的存在として創られたこと示す旧約聖書創世記の言葉です。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(2:18),人間は仲間がいなければ生きていけない,助け合わなければ生きていけないと創造物語を通して,聖書は信仰のメッセージを伝えるのです。もう一つ思い出す聖書の言葉は,「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(Ⅱコリント12:9)というパウロの言葉です。弱かったからこそ様々な逆境,試練を乗り越え,進化を成し遂げ,仲間と協力して生き延びた人類の祖先を見る時,パウロはそんな意味で言ったのではないでしょうが,「弱さ」を喜び誇りたいのです。

最後に,この番組の大スクープは,何とホモ・サピエンスとネアンデルタール人が交わることによって,現代人である私たちにネアンデルタール人のDNAが引き継がれていることです。2%台のDNAがそうらしいのですが,こんな話を聞くともう一度この分野の勉強がしたくなります。何度か私が中学生の時は理科少年だったことをブログに書きましたが,その血が騒ぎます。科学の事実を探ることと宗教の真理を解き明かすことは,人類の歴史の二大潮流です。

そう言えば,聖書を取り上げたので思い出しました。今年,私が保護者向けに開講しています聖書講座のお申し込みが大変少ないです。どうぞ今からでもお申し込みください。